NPO法人 足尾鉱毒事件田中正造記念館

2010年(平成22年)1月から6月までのイベント報告です。

まなびや講座 (第15回)

1月10日(日)午後1:30〜4:30
テーマT いまも、谷中村にくらして −群馬・栃木両県境上の家で正造・鉱毒を考える− 講師   北村 寿宏氏
テーマU 谷中村の興亡と遺民 講師   布川 了
(記念館名誉館長)


毎回、様々な分野で活躍している方を講師に迎え田中正造・鉱毒事件等について
理解を深めています。

 今回講師の北村さんは、
自宅が群馬・栃木両県境上に位置していることから生じる様々な問題点を
ユーモアを交えながら、わかりやすくお話して下さいました。

また、幼少時から谷中遊水池に入り、農耕、かや刈などにつとめ、
体験談や遊水池の変化を見つめてきた状況等をお話しくださいました。



北村寿宏さん



布川 了 名誉館長


↑↓参加者の皆さん



まなびや講座 (第16回)

6月13日(日)午後1:30〜4:30
テーマ  足尾鉱毒事件運動初期からの支援活動家
左部彦次郎は谷中村事件のさなかになぜ離脱したのか
講師   赤上 剛氏
田中正造記念館学芸員
渡良瀬川研究会常任幹事



毎回、様々な分野で活躍している方を講師に迎え
田中正造・鉱毒事件等について理解を深めています。

 田中正造の右腕として信頼の厚かった左部彦次郎は、
なぜ谷中村事件のさなか敵方の栃木県土木吏になったのか、
当時の被害状況、生活苦などを解説していただき理解を深めました。

〈要旨〉
左部彦次郎(さとりひこじろう)は東京専門学校在学中に鉱毒事件を知った。
卒業後群馬県から被害地に駆けつけ、運動の初期から主導的役割を果たした。田中正造の右腕としてその信頼は厚かった。それが谷中村事件のさなか、敵方の栃木県土木吏になり、正造から「今 悪魔」とまでいわれた。
左部は、「なぜ被害民運動に投じたのだろう」
    
 「なぜ栃木県土木吏になったのだろう」
後者については、従来「女性関係」とか「生活問題」とかで片付けられてきた。今回、こうしたことを通じて、「学ぶとはどういうことか」も考えてみたい。



赤上 剛さん

〈プロフィール〉
栃木県茂木町生まれ。早稲田大学法学部卒業。
20年程前から渡良瀬川研究会ならびに田中正造に学ぶ会・東京に参加。学ぶ会の月例会で布川了・渡良瀬川研究会代表の「にんげん田中正造」を受講し学習を積む。近代民衆史研究会や新井奥邃先生記念会他にも所属し、幅広い観点から田中正造や鉱毒事件を見直そうとしている。
主旨論文:「直訴論の再検討」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』第14号、「『和協の詔勅』と田中正造-田中正造は詔勅に反対したのか」『同上』第15号ほか多数。「独断検証・田中正造関連雑記」を『田中正造に学ぶ会会報』に毎月、6年にわたり連載中。



↑今回参加者の皆さん


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